墓じまい

どうしても、後継ぎがいないと困ることがある


墓…


女姉妹だけだと、墓を守る人がいない


婿養子がいればいいのだが……
婿養子はとらなかった


菩提寺に永代供養をしてもらうために
納骨堂もそなえた


墓じまい……
永代供養墓…


遺骨と一緒に永代供養…


色々と経費もかかる…


墓じまいと言っても、
残された子供に負担がかかるねぇ


困った風習…


安い経費で、外墓じまいをしたいが、100万円はかかるらしい


なんとかならないかなぁ

移住を考える

本格的に移住を考えている


ユーチューブで、紹介動画をみて、
益々、住みたくなった


行ったことのない場所


でも、なぜか親近感がわく


ここからだと、結構、交通費がかかる
航空券で往復10万程度…
早割でとったとしても7万を超える


それでも、現地に行って住むところを探したい


ここよりは、都会で、温暖な地方


あと2年、この仕事を全うしたいと思うが、
2年も待てない気がする


あと1年…


元気なうちに、移住したい


夏休みに、現地に行って不動産屋を回る
空き家バンク?中古住宅?新築一軒家?
色々見なくちゃ


たぶん、ここよりは住みやすいだろう…


仕事もしよう
もの作りは続けながら
ちゃんと仕事もしていく


ちゃんとがいい。
ちゃんとしたい
ちゃんと生きる


私の中の「ちゃんと」は、
社会とかかわりながら、
よく食べ、よく寝て、よく働くこと


ただ、もう働きすぎないように、生活する


多分できる
私ならできる
プラス、
一緒に寄り添い合いながら
暮らしていけるパートナーがいたら
なおいいい。
そんな人いるかなぁ


まっいいっか!いなくても!

すべては人間関係?ちがうよ!


精神科の医者、哲学者はよく言うけど、
悩んでいることの
「すべては、人間関係」と。


そうかな?
確かに、人間界で起こる様々な問題には「人間」が関わるけれど、


悩みは「人間関係」のみでは、ない気がする


自分の事を考えれば、
そこには、
「生きる」ことの意味が
わからないから。


そういうと、
「生きる意味なんてないよ」というが、


私は、人間関係よりも


オスとメスであることが
つらい。


私はメス。


人間という「枠」ではない。


メスとして生きることが
できない


別に同性愛者でもない


なぜオスとメス?


オスになりたいわけでもない。


わからない……


わからない…


ただ、わからないから…



このまま、多分ずっと、そう思っているだろうなぁ

「しあわせな家族」なんて存在しない

本からたくさんの事を学んだ
その中で、下重曉子さんの本から
「しあわせな家族」なんて存在しない
日本で「家族」は美化されるのは
「家族」という幻想にとりつかれ
口を開けば
家族の話しかしない人たち…
家族の事しか話題にしない人は、つまらない


家族写真入りの年賀状は、
「しあわせの押し売り」と一刀両断


確かに、同感!


本当の家族とは何か?


今、子どもの数が減少し、
いづれ家族という集合体がくずれていく


本当の家族…


家族という病…


美化しようとする人間たち…


そんなことを、考えて…


ひとり、ブログを書いている


さみしいかなぁ…

考えすぎて、こまる

朝早くから、お風呂の掃除。
別に朝早くじゃなくてもいいのだけれど、
今、4時49分。
ひととおり、掃除は済んで、
「さあ、今日はどこに行こうかな?スキー?」
と考えている。


昨日は、少し気分が乗らなかったので、
スキーには行かなかった。友人は一人でもスキーに行く


そんな友人からラインで
「楽しもうよ!スキーは義務じゃないよ、心から楽しめば!」って


色々な事を考えて、
たまに、頭がおかしくなるのは私の性分。
こまったもんだと思う


両親が亡くなり、息子はいい職業について立派な社会人になった。


それでも、なぜかむなしい…寂しい…虚無感?…
色々な事が頭をよぎって…



もう、若くない。


そろそろ、人生を楽しもうと思っているのだけれど…


みんな、同じこと考えているような気がするけれど…
60代って、こんなもんかなぁ


そして、なにもしないで、また70代になるのか…


今が一番いい時なのにねぇ


なんか、生活に変化が欲しくて、
ドキドキがほしくて、
人と関わりたくて、
そんなこと思いながら
また、10年すぎていくんだなぁ…